この記事を見つけてくださった方は「夜と霧」というフランクルによる著作をご存じの方だと思います。
私は学者、研究者ではありません。一般人の私がこの本を読んでどのように感じたか、ということを中心に記しています。
心理学についての知識は皆無のですので、誤読や解釈の間違いもあると思います。
ただ、夜と霧に興味はあるが、読んだことがないという一般の方がこの記事をお読みになって
「挑戦してみようかな」と思われたら幸いです。
小説のような面白味はないかもしれません。しかし、読んでみる価値は十分感じる不思議な本です。
夜と霧 フランクルとは
本の著者略歴から紹介します。
1905年ウィーン生まれ。
1905年のウィーンといえば、第一次世界大戦前、オーストリア=ハンガリー帝国の時代ですね。
日本では日露戦争終結の年です。
「ウィーン大学卒、在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ」とあるので
フランクルは精神科医だったということです。
ただ、アドラー、フロイトというと私は「心理学者」という認識だったので
心理学者と精神科医はどう違うのか?といったことも少し調べるきっかけになりました。
ただ、本文に「心理学者」「医師」(精神科医)と混合して出てくるので、深く気にせず同じものと解釈して読み進めました。
生年1905年と終戦の1945年からわかるように、30代後半から40歳まで収容所にいたことがわかります。
そしてフランクルは1997年に亡くなっています。
現在50代の私からすると、フランクルの後半生と私の前半生が重なっているので、同時代を生きた人という感覚はあります。
実際、子どもの頃は、戦争体験者が普通に身近にいました。
夜と霧 あらすじ
構成は以下のとおりです。
まえがき「心理学者、強制収容所を体験する」
第一段階 収容
第二段階 収容所生活
第三段階 収容所から解放されて
「まえがき」は、この体験記を記した目的、意味が書かれています。
そして被収容者の心の反応が三段階に分けられるとして、三段階に分けて書かれています。
「第1段階収容」はアウシュビッツについてから数日間の出来事、被収容者が選別される様子が描かれています。
「第2段階収容所生活」は体験記の中心的内容で、「夜と霧」の大半を占めています。
収容所での出来事、心理的な変化、動きが記されています。
「第3段階収容所からの解放」は解放された後の心理的変化です。単純に「回復」という言葉では言い表せません。
私が特に印象に残った箇所です。
128ページ
希望を持つと、それが落胆と失望に変わり、死に至るということです。
一般に希望を持つことは、強く生きることにつながるような気がしますが、
希望を持った人間は危険であるとしています。
フランクルは「希望」ではなく「未来に目的を持つこと」「生きる目的を持つことを意識せよ」と書いています。
129~130ページ生きる意味を問う
「夜と霧」で有名な箇所です。
この部分を理解するために「夜と霧」を読んできたといってもいいかもしれません。
「生きることの意味を問うのではなく」「生きることの問いに正しく答える義務を引き受けること」
とあります。この箇所を読んでもよくわかりません。
考えたり、言葉で答えるのではなく、行動で答える
一般論で答えることはできず、具体的ななにかで答える。
では具体的な「なにか」とは何か?
ひとりひとりによって「なにか」は変わってきます。
読み進めるとわかってきます。
未来に待っている「なにか」に答えること、なしとげることです。
本文で紹介されている例は、ある人は愛する子どもに会うこと、また別のある人は研究を成し遂げることでした。
「ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、
仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ」
「ひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさ」とも表現されています。
「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない」
「自分がなぜ「存在」するのかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのようにも」耐えられるのだ」
生きることの問いに正しく答えるとして、答えは人それぞれに違うということです。
また、答えは具体的行動(愛する人に会う、仕事を成し遂げるなど)になるということです。
夜と霧 読めない、読みにくい?!
私が読んだ「夜と霧」は新版(池田訳)、1977年刊(日本では2002年発行)の翻訳です。
旧版(霜山訳)は1947年刊(日本では1956年発行)です。旧版が廃刊になったわけではなく、旧版・新版の双方が入手可能のよです(2026年2月現在)
実は以前「夜と霧」を読もうとして挫折した経験があります。当時は新版(池田訳)が出る前だったので、「夜と霧」は1種類、今の旧版(霜山訳)しかありませんでした。今回、新版を手にとって、旧版よりはかなり読みやすくなっていると感じました。
ただ、訳者あとがきを読んでほしいのですが、旧版と新版では底本が違うので、いく分異なる箇所があるそうです。
旧版で挫折した方、夜と霧が「なんとなくとっつきにくい」と感じている方は、新版を手にする方をおすすめします。
また、原本自体がそもそも難しいのではないかと思います。本書は体験記であり、読者は一般人を想定しているのでしょう。それでも学者が書いた本ですので、難しい表現が多く難しい、読みにくいと感じると思います。
さらに、日本の読者には時代、国が違うため内容がイメージしにくいと思います。
著者はアウシュビッツからダッハウへ送られます。
私の個人的経験ですが、以前、ドイツへ旅行した際、アウシュビッツを訪問したいと思いました。その時アウシュビッツはドイツではなくポーランドにあることを知り、あきらめた経緯があります。
ヨーロッパの人にとっては当たり前かもしれませんし、日本でも知っている人には当たり前でしょうが、そのあたりの知識がない者としては、小さな誤解が内容を理解しにくくしていると思います。
さて、アウシュビッツの代わりに強制収容所がダッハウという町にあると知り、行ってみることにしました。
ダッハウ強制収容所はドイツでは有名で、最初期に作られた収容所ということです。
さらに驚いたことは、収容所の規模の大きさです。それまでの私の収容所のイメージは中学、高校くらいの広さのグランドと建物にユダヤ人が収容され、生活、仕事をしているものでした。当時の写真からそういったイメージを作り上げていました。
しかし実際は、町の一区画相当が収容所です。〇〇町〇〇丁目一帯が収容所という規模です。現存しているものは収容所のごく一部であり、まさに中学、高校程度の広さのグランドに建物が博物館として残っているだけです。博物館の中に当時の規模を示す資料があり、その規模に非常に驚きました。
前提知識が少ないと、イメージが湧きにくく、無味乾燥な印象を受けると思います。
私がダッハウへ行った経験があるということは偶然でしたが、それでも内容はイメージしにくいものでした。
また、本文中「カポー」という役職者が出てきます。被収容者の中から選ばれた被収容者を監視する者です。本文中に説明がありますが、被収容者にいじわるをする者、という程度でしか理解できませんでした。
やはり深く理解するためにはある程度の前提知識が必要な内容となっています。ただ、読まないよりは、おぼろげでも読もうとすることが大切と思います。私も十分理解できたとは思いませんが、読んでよかった本です。繰り返し読んでみると理解が深まるのではないかと思います。
夜と霧 映画
最後に「夜と霧」という映画があるということをおしらせしておきます。
この本を読んだ後、有名な作品の場合、映像化などされている場合が多いので、映画など関連情報をさがしてみました。
「夜と霧」という映画があるようですが、どうやらこの本を原作とした映画ではなく、収容所のドキュメンタリー映像をこの本にあやかって「夜と霧」というタイトルで制作、上映していたようです。
映画を観たわけではないですが、原作フランクルではないようです。
ただ、収容所の様子を知るという意味では視聴する価値はあるのではないでしょうか。

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